ハリマ化成グループ

伝説のテクノロジー

松とともに生き、松の恵みを受け、松の再生に挑む

古来、松には神仏が宿るとされてきた。神社仏閣に必ずと言っていいほど松の木が植えられているのはそのためだ。
その松から採れる松やには、神社仏閣に奉納される伝統工芸品などに多様な用途で使われている。
だが、国産の松から生(なま)松やにを採集して精製する技術は、すでに50年以上前に途絶えたままだ。
今、その技術の復活に挑もうと立ち上がった技術者たちがいる。

ロジン技術者 藤田定行さん

国産松やにを自前でつくれ

 それは1本の電話から始まった。2015年夏、日本有数の神社からハリマ化成の広報室に「国産の松やにが欲しいのですが」と、問い合わせてきたのだった。この神社は、神に奉納するための和弓の製作を専門業者に依頼したところ、国産松やにが手に入らないと吐露されていた。弓弦には化学繊維も使われるが、もともとは麻糸を何本も撚り合わせてつくられていた。そして弦を補強するために薬煉(くすね)を塗るのが古来の技法であった。薬煉とは、松やにを油で煮て練ったものだ。

 「神に奉納するものなら、原材料は国産のものでなければならないのが慣例。日本の伝統を継承するためには、原材料から見直さなければならない。松から採れる松やに(ロジン)を原料に多様な化成品を製造しているハリマ化成なら、国産の松やにもつくっているだろう」

 神社はそう考えたのだった。

 しかしその問い合わせに、ハリマ化成はこう答えるしかなかった。

 「当社にも国産の松やにはありませんし、国内で流通しているという情報もございません」

 太平洋戦争の頃、諸外国は石油と同じように松やにも輸出規制品の対象にした。そのため日本は国産松やにの増産に力を入れ、戦後の1950年頃には年間6,000トン近くの国産松やにが生産されていた。1947年創業のハリマ化成も、その頃は国産松やにを原材料として使っていた。だが、その後、次第に安価な中国産が台頭し、国産松やには年々生産量が低下していった。そして1960年代の半ばには、ついには国産の松やにが工業製品の原材料として使われることはなくなってしまったのだ。以来、すでに50年以上の歳月が経過している。

 だが、神社からの相談の話を聞いたハリマ化成グループの長谷川吉弘社長は、即座に指示を出した。

 「日本の伝統技術の継承がわが社にかかっている。これこそ我々の存在の原点である。何とか国産の松やにを自前でつくろう。ただし、工業ベースでの生産は難しいから、技術の伝承と文化財の保護を目的に、継続して供給する方法を考えよう」と。

 この指示を受けて国産松やにの復活に動いたのは、ハリマ化成を定年退職後、現在顧問を務める藤田定行であった。

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